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 その日のルークの目覚めはおよそ彼が経験した中で最悪の朝だった。頭を抱えるように二段ベットから這い出て、洗面所に向かう。頭が割れるように痛んだ。洗面所には同じように青い顔をしているハリソンの姿があった。
「……よぉ、調子……どうだ?」
「……おかげさまで最悪だよ」
「あー……だろうな。顔に書いてある」
「ハリソンの顔にもね……」
 彼ら二人、いや、今や503中隊の面々の幾人もが彼らと同じ症状――二日酔いに襲われていた。せめてもの息抜きとしてクリスマスパーティが精一杯盛大に敢行されたのである。18時には全ての訓練が終了され、全ての仕事が後回しにされた――そして酒保は開け放たれた。
 そこからはパーティ、いや、宴会。宴会。大宴会であった。あっちで乾杯こっちで合唱、呑めや歌えの大宴会である。今宵は無礼講という宣言がなされ、中隊は大いに羽目を外した。彼ら二人ももちろんその渦中であった。いささかヤケクソ気味の宴会だった――ルークの予感と同じようなものを中隊の面々も感じていたのかもしれない。
「おい、ルーク、聞きたいか?」
 ハリソンは笑みを浮かべてルークへ顔を向けてそう言った。二日酔いの酷い顔を無理やり笑顔の形に持っていったため、まったく不気味と言うほかない。
「な、なんだよ……」
「俺な、サエカ大尉に、キスしてもらったぞ」
 胸を張ってそう言うハリソンの姿は最高にかっこ悪かった。感触を思い出しているのか、ニヤニヤと顔を歪めているのが心底気持ち悪い。
 ルークはそんな事を思いながら、言い出すべきか否か迷っていた。なぜなら彼もまたサエカ大尉に熱烈な接吻を見舞われた一人だからである。そもそも彼ら二人が例外というわけではなく、サエカ大尉は手当たりしだいにその美しい唇を振りまいていた筈である。
 彼女はスコッチ・ウィスキーと書かれた瓶を、ぶつぶつと文句を言いながらもしきりに煽り、そして不埒な振る舞い――受ける側からしたら幸福だが――をした後、最終的にはユリウス中尉に介抱されながら部屋を出て行った。
「……残念ながら、ハリソン。君だけじゃないんだ」
「え、な……」
「少なくとも学徒兵連中は全員……」
 ルークは最後まで言葉を続ける事が出来なかった。ただでさえ悪いハリソンの顔色がどんどんと青ざめていったからである。最早彼の顔色は土気色で、表情はこの世の終わりといった様相である。
 一応慰めの言葉をかけた方が良いのだろうかと、ルークが思案しているとスピーカーから件の中隊長の美しい声が流れ始めた。
『503中隊各員に告ぐ、中隊員は全員第一ブリーフィングルームへ至急集合せよ。繰り返す――』
 突如として集合を告げる放送が基地全体に鳴り響いた。ハリソンと顔を見合す。お互い酷い顔だと思い、大慌てて顔を洗い、身なりを整えた。
「一体なんなんだろうな」
「ま、大方今日の訓練プランの変更だとか、お偉いさんが視察にきたとか、そんなんじゃねぇの?」
「いやいや、二日酔いを覚ます良い薬でもくれるのかもしれない」
「そりゃいいな。こんなんじゃ今日の訓練、身がはいんねぇ」
 第一ブリーフィングルームへ向かう通路を駆けながら、二人とも勝手な想像を巡らす。ブリーフィングルームへ入ったのが最後ではなかったので、二人はほっとしたが、すぐにただならぬ緊張感が漂っている事に気付き、身を強張らせた。
「……薬は出してもらえなさそうだな、こりゃ」
 声を潜めてハリソンが言う。
 すぐにこの集会は始まった。サエカ大尉と副官であるユリウス中尉が前に出る。二人ともどことなく青ざめた表情をしていたが、昨夜の影響というわけではなさそうだった。二人はいつになく真剣な表情を、いや、鬼気迫る表情をしていた。
 号令がかかり、敬礼。二人の答礼。そして大尉は口を開き、良く通る声で耳を覆いたくなるような事を喋り始めた。
「おはよう、諸君。君たちに二つのお知らせがある。残念ながら――どちらも悪い知らせだ」
 中隊長は一旦そこで言葉を区切った。ブリーフィングルームは水を打ったような静けさだった。
「まず一つ目、24日夜、連邦艦隊がソロモンに来寇、同日中に陥落――司令官、ドズル・ザビ中将も戦死なされた」
 ソロモン陥落、ドズル・ザビ中将戦死――。淡々と告げた事実は余りにも衝撃的だった。不安げなざわめきがさざなみのように広がっていた。
「静かに、落ち着いて聞け。二つ目もそれに関係するところだが――。我々503中隊にも命令が下された。我々は訓練を終了し、宇宙要塞ア・バオア・クーへ移動、同宙域守備隊に編入。連邦艦隊来寇に備える。訓練は未だ途上であるが、防衛戦闘に必要充分な練度に達していると判断が下された」
 辺りを見回したサエカは、一転して明るい口調に、発破をかけるような調子で続けた。
「なに、心配は要らない。ソロモン奪還に最精鋭の部隊が動いていると聞くし、連邦にも年内に攻略を行える余力は残されていないはずだ。つまりは訓練地が変わるとだけ思ってくれれば良い。私物を整理し、移動に備えよ。
 ああ、それと――遺書を書いておけ。以上。なにか質問はあるか?」
 なんの声も上がらなかった。沈黙が圧し掛かっていた。
 ルークの予感は的中したわけである。
 ちらほらと手が挙がり、細部について質問がなされた。それらは全て士官か下士官によるもので、兵卒、特にルークやハリソンのような学徒兵らはただただ呆然としていた。
 公国軍としては、宇宙において連邦軍の攻勢は年内は無いと踏んでいた。いくら公国が劣勢とは言え、戦力だけを見れば宇宙では未だ互角と言えたし、なにより連邦軍に焦って攻勢に出る必要はないはずである。モビルスーツ部隊を用いた大規模な空間戦闘は未だ連邦軍は経験しておらず、練度も高いとは言えない。
 そしてその見通し――願望と呼んでも差し支えはないだろう――に基づいて503中隊のような、学徒兵の多い訓練未了の部隊の訓練も行われていた。
 しかしそんな予想は裏切られた。12月24日、連邦軍はチェンバロ作戦を発動。連邦艦隊ソロモン来寇。ソロモン守備隊は連邦軍の量産型モビルスーツ、ジムやボールによる熾烈な攻撃や、新兵器ソーラ・システムにより甚大な被害を受け、劣勢に追い込まれたのだ。
 同日21時前にはソロモン破棄が決定――占領されたソロモンは連邦軍によってコンペイトウと名を改めていた。公国にとってのさらなる不幸は、ソロモンで直接指揮を執っていたドズル・ザビ中将――ジオン公国軍宇宙攻撃軍司令の壮絶な戦死である。
 ソロモン陥落は公国中を駆け巡り、すぐさまア・バオア・クーとグラナダを結んだ最終防衛ラインが制定され、幾つもの部隊にア・バオア・クー、もしくはグラナダへの移動命令が下った。訓練未了の部隊――第503防空中隊のような部隊もその例外ではなかった。

 

  全ての訓練が打ち切られ、急ピッチで準備が進められた。とは言っても、ルークらに下された命令は荷物を整理することと、遺書を書くことだけだったが。
 宇宙世紀になっても変わらないものは幾つかある。最前線へ移動する前に書く遺書もその一つである。宇宙世紀になり、電子メールが一般的になってからも戦場で書かれる遺書は紙にペンで書くスタイルのものだ。
 もっとも、書面は電子データに形を変えてバックアップが取られるのだが、紙に書くという行為自体に意味があるとされて、未だに――遥か前世紀の戦場から変わらぬこの方式が取られている。
 そしてルークは真っ白の便箋を前に頭を抱えていた。家族に宛てた手紙は既に書き終えたものの、エーリカへ宛てられる便箋には未だ「エーリカへ」としか書かれていなかった。
 便箋を前にして彼は自然と様々な事を思い出していた。エーリカとの日々を――ルークがモビルスーツパイロットではなく、絵描きを目指す青年だった頃の日々を。僅かに一月と少し前――あの日々が、彼には随分遠い日のように思えた。
 自然と、筆が動いていた。しかしそこに書かれたのは文字ではなく、彼の愛する人の姿であった。彼は何も見ず、ただ一心に彼女の姿を、心に現れては掻き消える恋人の様々な姿を、表情を、声を、空気を、その全てを便箋に描写していった。
 描き終えた彼の表情には満足げな笑みが――いや、描いている時から自然と顔は綻んでいた。最後に数行だけ文章を書き、封をした。出発の時間が迫っていた。
「どれだけあっても足りないな。エーリカを描く時間は」
 懐かしい感覚に、ルークは思わず一人笑い、そう呟いた。彼は既にまとめておいた荷物を手にし、歩き始めた。その歩みの先には戦場が待っている――人類史上最大の決戦場が。

 

 503中隊は一隻のパプワ級補給艦――AS-032<チャップ>に文字通り押し込まれ、ア・バオア・クーへと向かう事になった。護衛には一個戦隊がついたものの、明らかに護衛艦艇は不足していた。このア・バオア・クーへ向かう艦隊、SA-106と名づけられたこの艦隊は――いや、船団と呼んだ方が正しいだろう――総数21隻と数だけを見れば大規模に見えるが、その中で戦闘が可能なのは僅かに8隻――ムサイ級巡洋艦2隻と、旧式の駆逐艦が6隻のみである。
 護衛の戦隊の8隻を除けば戦闘艦以外で軍艦なのは<チャップ>ともう一隻のパプワ級のみであり、その他の船はその全てが戦時徴用船である。
 <チャップ>での暮らしはお世辞にも快適とは言いづらかった。SA−106艦隊にとって中隊は明らかにイレギュラーな荷物だったようで、彼らに与えられたスペースはごく僅かなものだった。物質的にも、精神的にもだ。<チャップ>の乗組員の大半は不快感を隠そうとはしなかったのだ。彼らモビルスーツ隊が艦隊防空の大半を担うというのに。
 この寄せ集めの船団は様々なものを満載、あるいは過積載して宇宙要塞へと向かっていた――人員、モビルスーツ、兵器に武器弾薬、それに燃料、物資に食料。しかし、前段が持つまとまったモビルスーツ部隊は503中隊だけであり、連邦軍が攻撃を仕掛けてきた場合は中隊が迎撃に当たらねばならなかった。護衛戦隊には2隻のムサイを合わせても4機のモビルスーツしか残されていなかったのだ。
 中隊は言うまでもなく哨戒任務にも充てられ、さらに一個小隊は艦隊防空のアラート任務に就いていたので、503中隊を構成する三個小隊の内二個小隊は常に緊張を強いられることになった。
 連邦艦隊の攻撃は必至と考えられたので、いざというときのために発着艦(カタパルトを用いないので離艦と称した方が正しいかもしれない)の訓練が繰り返し行われ、中隊は移動中も訓練に明け暮れる事になった。
 哨戒飛行は一日に三度に限定された。勿論、この数は余りにも少なく、危険だった――推進剤を節約する必要があったからだ。そのため、中隊員の一番の仕事は快適とは言えないコックピットか、狭苦しい格納庫横の待機室で気を張りながら過ごす事になった。
 コックピット内のディジタル時計が60分を指し示すと、ルークはすぐさまコックピット・ハッチを開き、0Gの中で体を泳がせながら思い切り節々を伸ばした。彼はコンデシション・レッド(機内待機)からコンデシション・イエロー(待機室待機)へと移行したのだ。コックピットは居住性など考えられおらず、戦闘に備えて何も持ち込む事が出来ない。その中で延々と一人待機し、緊急発進に備えるコンデシション・レッドは言うまでもなく退屈である。機内待機は1時間が限度とされ、乗員は1時間置きに機外で待機するコンデシション・イエロー要員と交代し、コンディション・イエローに移行する必要があっ
た。
 ルークはエア・ロックを抜けると直ぐにヘルメットを外した。これでやっと開放されたという気分にはなる。
「交代の時間です。中尉」
 格納庫横の待機室に入ったルークは、次のコンデシション・レッド要員であるユリウス中尉に呼びかけた。
「おーもうそんな時間か……っと」
「ただ座っているだけというのは退屈ですね。コックピット内には何にも持ち込めないし」
「06の時はもっと大変だったぜ。14のコックピットは06に比べりゃ寝室みたいに快適さ」
 ユリウスはヘルメットを小脇に抱えて出ていった。待機室と言っても特別何かがある部屋というわけではなく、申し訳程度に雑誌などが置いてあるだけの小さな部屋だが、それでもモビルスーツのコックピットに比べれば随分マシだ。少なくとも、手足は思う存分伸ばせる。
「連邦軍、この調子で来なければいんだけど」
「明後日にはア・バオ・ア・クーに着くんだ。頼むからすんなり行かしてほしいもんだな」
 ハリソンは退屈そうに読んでいた軍の広報雑誌――日付は9月の物だった――から顔を上げ、大儀そうにそう答えた。
 艦隊の航行は細かいところを除けば順調に進んでいた。すでに行程の半分ほどに何事もなく差しかかっていた。
 ルークが雑誌に手を伸ばしたちょうどその時、耳をつんざくような、恐怖の本能をくすぐるかのような警報が――敵の来襲を告げる警報がけたたましく鳴り響き、緊迫した艦内放送がそれを煽った。
『総員戦闘配置、対空、対艦戦闘用意!』
 待機室の彼ら二人は顔を見合わせた。一瞬だけ。すぐに二人は雑誌を放り投げ、弾かれたように立ち上がり、格納庫へと向かった。
 <チャップ>の乗組員は迅速に反応した。ヘルメットのバイザーが下ろされ、通路を走りぬけ、ラッタルを昇降する音が交錯する。命令と復唱が叫び交わされ、戦闘配置が完了する。
「くそっ、冗談じゃないぜ」
 格納庫へと急ぎながら、ハリソンが毒づく。
「そっとしといてほしいよ、まったく――!」
 やけに息苦しいとヘルメットのバイザーを下げたルークは思った。手早くお互いの気密チェックを行い、エアロックに入った二人はヘルメットとヘルメットをつき合わせる。
「死ぬんじゃねぇぞ」
「そっちこそ」
 二人は不敵な笑みを浮かべた。エアロックが開く。

 既に格納庫は蜂の巣をつついたような状態だった。しかし、格納庫は真空に保たれているので喧騒は感じられない。それでも整備員の慌しい動きを見れば、彼らのインカムからは怒号が流れているのが分かった。
 コンデシション・レッドに就いていたユリウス中尉のゲルググは今まさに発進せんとするところだった。パプワ級補給艦にモビルスーツ・デッキや、カタパルトなどという大層なものはない。モビルスーツは格納庫の隔壁を開け、直接宇宙へと泳ぎ出なければならない。ユリウス機は蹴りだすように宇宙へと乗り出していった。
 お互い軽く手を振り、ハリソンと別れたルークは自分の乗機へと急ぐ。色とりどりのペイント弾によって汚されていた機体は、訓練基地を出発前に大慌てでライトグレーと濃緑色の制式塗装にリペイントされていた。
 しかし茶目っ気溢れた整備員達は、忙しくさせられたお返しとばかりにとわざわざ右肩に一本のラインを残していた。彼のゲルググには赤のラインが一本残されていた。よく目立ちそうだ、いつでも中隊長に見つけてもらえるな、と整備員に笑われた。
 整備員に敬礼を送り、ついさっきまで座っていたコックピットに滑り込んだルークは、チェックリストをパネルに表示させ、計器やら何やらに目を素早く走らせて、一つ一つを消化していく。既に核融合炉には火が入れられていた。核融合炉をアイドリングからコンバットへ。
 火を灯したメイン・ディスプレイの隅にコールのグリーンランプが瞬いた。ルークは通信回線を開くと、先行したユリウス中尉からの通信だった。
『ルーク、ハリソン、聞こえるか?』
「はい、感度良好です、中尉」
『聞こえますぜ、中尉』
『よし、それじゃあ時間がない。手短に説明するぞ。艦隊のピケットラインを張っていた駆逐艦<Z24>から敵艦隊発見との報告だ。今のところ8隻の艦が確認されている。艦種は不明だ。会敵予想はおよそ600秒後。
 第一小隊は先行して艦隊外郭部に移動。中隊本隊の到着を待ち、敵艦隊を迎撃する。分かったな? 復唱は要らない。以上』
「分かりました」
『り、了解です。中尉』
『ハッハ、二人とも声が上ずってるぞ。ビビってんじゃねぇぞ、金玉あるか確認しとけ!』
「す、すいません!」
『……小隊長、ジョニーが、息子のジョニーが家出しました。金玉、確認できません!』
 ハリソンはこんな時でも冗談が言えるらしい。心臓がビス止めされているのかと思ったが、ハリソンの声には緊張の色が伺える。やはり、誰だって怖いのだ。そう思ったルークは少し安心できたような気がした。
『馬鹿野郎、引きずり出せ!』
 笑いの混じったユリウスの声が入る。ユリウスはユリウスなりに、ハリソンも彼なりに緊張をほぐそうと努力しているらしい。
『……はぁ、私は呆れたぞ。出撃前に一声掛けとこうと思ったが、やはり止める事にしよう』
 通信は中隊長に聞かれていたらしい。声は心底呆れたという感じだ。彼女もやはり緊張をほぐしてやろうと通信を入れたのだろう。
『ちょ、ちょっとサエカ大尉、そりゃねースよ!』
『冗談だ、冗談。ま、なんにせよルーク、ハリソン両二等兵、しっかりやれよとは言わん。敵機を撃墜しようなんて色気は出すなよ。お前らは生きて戻ってくることだけを考えてればいい』
「分かりました、大尉」
『了解であります! 大尉殿!』
『おいおいサエカ、俺にもなんか言ってくれよ。寂しいだろ』
『お前にはもう何度も言っとるじゃないか。もう聞き飽きたのかと思ってな』
『ああ、確かに。こないだのベッドでも随分聞いたからな。それに、お守りもあるし大丈夫だな』
『……お前は戻ってこなくて良い。もう知らんからな!』
 ルークは笑った。ハリソンも、ユリウスも笑った。サエカ大尉は、きっと顔を真っ赤にしていることだろう。ルークにはそれが可笑しくてたまらなかった。笑いが止まらない。出撃前に笑い転げられるとは、彼には自分でも不思議だった。
『フッフ……その分なら大丈夫だろう。私達もすぐに行く。それまで無茶をするなよ。以上』
 出撃準備は全て整った。核融合炉は戦闘出力で安定。プロペラントは満タン。兵装はフル・ロード――ビームライフルが不足しているらしく、彼の得物はジャイアント・バズだったが。イエローの重ノーマルスーツがOKサイン。
「システム・オールグリーン」
 ルークは短くそう宣言する。隔壁は既に開け放たれ、モノアイを通じて無限の宇宙がメインディスプレイに描写されていたが、そこには様々な情報が書き加えられ、漆黒とは程遠い。
 イエロースーツがきびきびとした動作でGOサインを送る。ルークはもう一度だけ深呼吸をし、軽く機体を蹴りだした。彼の機は宇宙へ――初めての戦場へと滑り出た。

 

『全艦、密集陣形。攻撃に備えよ。対空、対艦戦闘用意!』
『<スターリング>から<サイラス>ヘ 船団の前に出る 我に続け、我に続け』
『<サイラス>了解 船団には指一本触れさせない』
『<PQ17>から<サイラス>へ 貴艦の御武運を!』
『こちら<Z24> 艦種照合を終了 敵艦隊はサラミス級4隻、69型駆逐艦4隻で構成』
『敵艦隊から発進する敵編隊を補足――詳細不明なれど、その数続々増大中――』
 通信と発光信号が飛び交い、船団は天敵に襲われた草食動物のごとく密集隊形を取った。
 二隻のムサイ級には戦闘旗が揚げられ、放たれた猟犬のように加速すると船団と連邦艦隊との間にその身を滑らせる。駆逐艦隊は輸送船の傍に寄り添い、その身を盾として無防備な輸送艦や商船を守らんとする構えである。全ての大小の砲が旋回し、仰角が掛けられ、虚空を睥睨する。
『503中隊へ 敵艦隊から艦載機の発艦を確認 数、およそ20 機種不明』
『こちらでもキャッチした。迎撃する』
『頼んだぞ。一機でも抜けられたらこっちは滅茶苦茶だ。幸運を祈る』
 503中隊は船団の最外郭部で集合し、編隊を組んだ。オープンにされた通信機からは緊迫したやり取りが流れ込み、否が応にもルークの気持ちを高ぶらせた。<スターリング>、<サイラス>両艦から2機ずつ発艦したザクも編隊に加わる。手が振り交わされ、モノアイが瞬き合う。
『<スターリング1>から503中隊へ こちらも編隊に加わる』
『<サイラス1>もだ。これより503中隊の指揮下に入る』
『こちら503中隊長のサエカ大尉だ。コールサインは<シュワルベ1>だ。感謝する』
『ヒュー! <シュワルベ1>、こいつが片付いたら是非<サイラス>へ。歓迎するよ』
『<サイラス1>、申し出は嬉しいがヒヨっ子共から目が離せなくてな』
『畜生、ヒヨっ子は恵まれてやがるぜ』
『しかし、君達はお洒落だな。肩に綺麗なラインが入ってる』
『いつでも見つけれるようにしてるんだ。目を離すと何をするか分からんからな』
『なるほど、違いない』
 サエカ大尉にも、そして軽口を叩き合っている彼らにも、声に緊張の色は見られなかった。
 数を増やした編隊は、威風堂々とはほど遠い、危なっかしげにふらつきながら宇宙を進撃する。
『こちら<シュワルベ1>、503中隊各機、状況知らせ』
『<シュワルベ2>、スタンバイ』
 ユリウス中尉の声を皮切りに、中隊の面々は次々とアンサーを返す。自分と同期の者の声はやはり緊張の色を隠しきれていないことに、ルークは少し安心した。自分はそれを悟られないように――。
「<シュワルベ4>、スタンバイ!」
『よし、全機確認した。戦闘にあたっては必ず3機編隊を維持しろ。孤立するな、味方が危なかったら助けてやれ』
 メインディスプレイには溢れるほどの情報が乱舞し、彼は混乱せず、冷静にその情報が読み取れることに自分でも不思議に思えた。
『敵機を視認 数18……21、22機! 内10機以上がモビルスーツと断定。その後方にマルガタを伴う。接敵まで150!』
『針路このまま、速度このまま!』
 1分が過ぎ、2分が過ぎた。ルークにとってそれは耐えきれぬほど長い時間だった。いや、彼だけではない。他の中隊員にとってもそうだったろう。
 彼我の距離が5000を切ったとき、サエカ大尉の裂帛の気合が鳴り響いた。
『全機突撃! 我に続け!』
 戦闘が始まった。
『第一小隊、左翼へ! 第二小隊は右だ! 第三小隊、私に続け!』
 ルークの眼前を三機のゲルググが、バンクを振るように手をかざしながら追い越して行く。さらにその後ろを4機のザクが続く。
『ヒヨっ子には任してらんねぇからな! 援護頼むぜ』
 どのザクも全身に細かい傷があり、あちこちの塗装は剥がれ地銀が見える部分さえある。見るからにくたびれた様子の機体だったが、それが今はなんとも頼もしく見えた。
 編隊は更に小編隊に別れ、戦闘機動へと突入した。最初に戦闘の火蓋を切ったのは連邦軍、ボール隊の一斉射撃である。ジム部隊も防衛線を突破しようと加速し、彼我の距離はたちまちコンバット・レンジへ。
『ルーク、ハリソン、しっかり俺の尻について来い! 行くぞ!』
 突破しようとする連邦軍、追いすがる公国軍。しかし、スラスター推力は遥かにゲルググの方が勝っていた。ドッグ・ファイトを強要された連邦軍は簡単に突破できぬ事が分かると、それに応えるように激しい機動戦闘に突入した。
「ついて来いっつっても――この状況じゃ!」
 至る所で熾烈なドッグ・ファイトが繰り広げられていた。戦場は混迷の度合いを深めていく。ルークはすぐにユリウスとハリソンからはぐれてしまった。彼には上下左右、四方に敵がいる様な気がしてならなかった。シルエットを確認して、敵か味方か判断する間もない。ただIFFに従うだけである。
 1機のモビルスーツが自機へまっすぐ向かってくるのにルークは気付いた。IFFは敵だと告げている――照準。ロック・オンを示すビープ音。ファイア。
「速い――ッ!」
 最小限の機動でなんなく射弾を回避した敵機に彼はうろたえた。いや、戦慄を覚えたといった方が正しいだろう。
「こんな機動、シミュレータじゃ!」
 敵機は小刻みに機動を変え、距離を詰めていく。ロックオンサイトは敵機の姿を捉えようとディスプレイ上を走り回るが、敵機は捕まらず、ビープ音は鳴らない。彼は耐え切れず、発砲。一発、二発、連射する。
「なんでッ!」
 当たらない、当たらない――ルークは焦り、恐慌を起こしそうな精神を必死に引き止める。
 敵機がマシンガンを放つ。火線が迸り、右肩で次々と火花を上げる。直撃こそ免れたものの、着弾した90mmが機と彼の精神を揺さぶる。
 螺旋を描くような機動で、敵機は近づいてくる。螺旋の底はルークのゲルググである。彼我の距離はもういくらもない――既にイン・レンジ。敵機が止めを刺そうとするかのようにマシンガンを構える――回避を、回避をしなければ!
 衝撃が襲った。なんとかシールドでマシンガンを受け止めたが、敵機はすぐに後ろに回り込もうとしているのが見えた。目を瞑らなかったのは奇跡だと彼は思った。フットペダルを踏み込み、すぐさまその場を離れる。振り向くのはその後だ――敵機はどうせ追ってくる。ロック・オンされた事を示す警戒音!
 機体を振る。オレンジ色の曳光弾が自機を追い越すように伸びていくのが見えた。彼は機にS字を描かせるような機動で、とにかく敵機から、射線から、ロック・オンから逃れようとする。だが、振り切れない。距離は徐々に詰まっていく。推力じゃこっちが勝ってるはずなのに――!
『ルークッ! 3秒後に急制動かけろ、いいなっ!』
 通信が入る――ユリウス中尉だ。間髪入れず、ユリウスは続ける。
『カウント! 2、1、今!』
 無我夢中だった。ルークは機に逆噴射、急制動をかける――敵機はついていけず、オーバーシュート――しかし、素早くターンを行って機を正対させた。
 マシンガンの狙いがぴたりとつけられているのが見える――しかしそれはルーク機に対してではなく、今まさにビームナギナタを振り下ろさんとするユリウス機に向けてだった。ナギナタは振るわれようとしたが、ジムの方が早い――至近距離で放たれた90mmの対MS徹甲弾はゲルググの装甲を次々と食い破っていく――それでもユリウスの勢いは止まらない。オレンジイエローの軌跡がジムを逆袈裟に切り裂いた。
 致命傷だった――ジムにとっても、そしてユリウスにとっても。ジムは力を失ったように宇宙を漂い始めている。
『……だから、ついて来いっつったろ――』
 ルークは、ただ呆然とコックピットに座っていた。ユリウスの声は普段からは考えられぬほどに弱々しく、途切れがちだった。
『畜生、しくじっちまった。ああ、サエカ……』
 もうユリススの声が通信機から流れ出すことはなかった。彼の機は爆発することもなく、ただ眠るようにその機能を停止した。
『――ルーク! 無事か!』
 自分の所為だ、自分の所為で中尉が――。
『二等兵! ルーク・ハドリー二等兵! 応答しろ!』
「は、ハイ!」
 サエカの呼びかけによって、半ば拡散しかけたルークの意識は現実へと帰還した。
『よし、生きてるな』
「大尉……中尉が、ユリウス中尉が――」
『分かってる。何も言うな』
「ぼ、僕の所為で、中尉は……」
『分かっていると言った筈だ! 二等兵!』
 怒気を孕んだ彼女の声にルークは身を竦ませた。
『……今はただ、生きて帰ることだけを考えろ――そら、新手だ! 来るぞ!』
 2機のジムが急速接近してくる――彼には感傷に浸る時間は与えられなかった。
『援護しろ、ルーク!』
「り、了解――!」
 エースパイロットをあらわす二つ名に、星を使うのはまったく正しい表現方法だとルークは思った。スラスターの青白い炎が美しい軌跡を描き、その機動は止まることを知らず曵光弾と爆炎が交錯する。まさに彗星のようなそのハイマニューバに彼は援護も忘れ、ただただ戦闘の成り行きを見守っていた。
 事実、サエカに援護は必要なかった。彼女の高機動型ゲルググは素晴らしい機動力を発揮し、難なく敵機の放つ射弾を避けて懐に飛び込んだ。すれ違いざまにロケットランチャーを叩きこんだ彼女は、ジムの誘爆を背中に受けながらそのまま勢いを殺さず――いや、さらに加速してもう1機へと。バレエダンサーを思わせる優雅なターンを決め――左手にはいつ抜刀されたのか、ナギナタが握られている。ターンの勢いはそのまま保持され、振るわれたナギナタの威力に貢献した――ジムは、ただなす術もなく両断された。
『マルガタ3機! 1時上方20度!』
 一息ついたのもつかの間、直ぐに新たな敵機が現れる。先ほどサエカが屠った2機の僚機である。フォアードを失ったバックアップに出来ることは、ただ180mmを二人に闇雲に降り注ぐだけである。
 ルークはすぐさまそちらに機首をめぐらし、一気に加速する。3機のボールは動揺を隠さなかった。
 ボール3機と2機のゲルググが戦えば、搭乗者の腕にかかわらず勝敗は明らかである。ボール隊は前衛がやられた時点で撤退するか、援護を要請すべきだった。しかしそのどちらも選ばれず、採られたのは及び腰で立ち向かうという、およそ最悪の選択だった。
『援護してやる。存分にやれ!』
 ルークは軽く機体を蛇行させるような機動で一気に距離を詰めていく。彼らは180mmを連射するが、空しく尾を曳いて虚空へと過ぎ去るばかりだった。
 丸いシルエットがサイトの中で膨れ上がっていく。ロック・オン、HUDにファイア・サインが点灯。哀れなボール隊は必死の回避運動をとり始めるが、彼らの機動力ではもう逃れることは叶わないだろう。ルークはトリガーに指を掛ける――。
『――くそっ! 来るなっ! 来るなよっ!』
 突如として通信機から明らかに恐慌に陥ったと分かる声が流れ始める。相手の通信? 混信しているのか――?
 その声を聞いて、ルークは動揺した。引き金を引けなかった。機体の動きが直線的になったその一瞬、180mmが彼の機を直撃した。装甲こそザクよりも薄い部分のあるゲルググだが、その対弾性能はザクの比ではない――爆炎をついて、肩にレッドラインの入った――ラインは先ほどの被弾によっていくらか消えかかっていたが――ゲルググが現れる。
「戦争だ! 戦争なんだよ!」
 彼は自分が知らぬ内に叫んでいたことに気づいた。トリガーを引き絞る――ジャイアント・バズから放たれた360mmの砲弾は、吸い込まれるようにボールに直撃した。ボールには気休めの装甲以外は施されてはいない――薄い装甲を食い破った360mmは、その威力を遺憾なく発揮し、文字通りボールを吹き飛ばした。
『脱出を、火が、畜生。ああ、そんな、エミリア――』
 ルークは聞いた――彼の最後の声を。そして見た、機外へ放り出され、糸の切れた人形のように漂う彼の姿を。顔は見えない――その姿は自分とよく似ているように彼には思えた。
 ルークはこみ上げてくる吐き気と必死に戦った。ノーマルスーツ内に吐瀉物を撒き散らせば、それだけで致命傷になり得る。
 気付いた時、他の2機の姿は見られなかった。サエカ大尉が撃墜したのか、それとも退却したのかルークには分からなかった。
 既に戦闘は終わっていた。彼は自分がいつのまにか失禁していたことに気がついた。
『――これだけ、か』
 中隊集合がかかり、点呼を取ったサエカ大尉の声には悲痛な響きがあった。戦闘の勝敗は集合して初めて分かるものだと言うが、今回の戦闘の勝敗はどちらの勝ちなのだろうか。彼には分からなかった。
 猥雑なショッキングピンクのラインが肩に入ったゲルググ――ハリソンの機は見当たらなかった。彼はMIAのリストに加わる事になった。

 連邦軍の目的が輸送船団の撃滅とすれば、公国軍の必死の抵抗により輸送船団の損害は軽微なものであったため、公国軍の勝利と言えよう。連邦軍は形勢不利と見るやすぐさま撤退していった。
 だが、勝ったと言っても手放しに喜べる勝利ではなかった。勝利の代償は決して小さい物ではなかったのだ。
 輸送船こそ2隻が小破するに留まったものの、2隻で連邦艦隊を迎え撃った、ムサイ級<スターリング>、同<サイラス>は両艦とも大損害を負い、未だ浮かんでいるのが不思議なほどだった。駆逐艦隊は<Z24>が大破した他、どの艦も少なからず損害を負った。
 そして何より、実戦の洗礼を受けた503中隊は、10機が出撃した内4機が未帰還となった。生き残った機にも損傷の無い機体は無く、あちこちに弾痕が刻まれ、装甲は歪み、煤けていた。腕や脚が無い機も多かった。4機のザクは3機が未帰還となり、歴戦のパイロットがまた減った事となった。
 モビルスーツの収容と生存者の捜索が終わると、二列縦隊が組みなおされ船団は粛々とア・バオア・クーへと進み始めた。

 

 日付が変わり、戦死者を弔う葬儀が行われた。中隊は一応は未だ任務中という扱いのため、簡易葬儀である。中隊長の訓示と、敬礼、弔砲。粛々と葬儀は進んだ。誰も彼も幽鬼のような青白い顔をしていた。どの遺体も見つけられなかったため、公国旗の巻かれた空の棺桶が宇宙へと送り出され、それで葬儀はあっさりと終了した。誰も涙を流すものはいなかった。
 中隊に休息は与えられなかった。再度連邦軍の襲撃に備え、哨戒とアラート任務が再開された。もっとも、そのような努力を重ねたところで再度攻撃を受ければ船団は為す術もなく壊滅するだろうが。
 ルークは第二小隊に編入された。今後は第二小隊が第一小隊と呼ばれる事になる。彼は休息が与えられなかったことを喜んだ。何かしら体を動かしていれば、自然と時が解決してくれるのではないかと思ったからだ――色々な事が一度に起こりすぎたのだ。
 彼、ルークが殺した彼は夢に出てきた。ユリウスも、ハリソンも。誰も怒ったような、恨みのこもった視線で彼を睨みつけるだけだった。一過性のものだと悪夢と共に目覚めた彼は自分に言い聞かせた。
 哨戒任務を終え、帰還した彼は一人食堂へと向かった。艦は戦闘配置をとっているためにメニューはパック食のみである。緑パックを一つ手に取り、席に着く。ただ機械的にスプーンを動かし、口に運ぶ。食欲はなかったし、味も感じなかった。
 彼は自分が任務に忠実な戦闘機械になった気がした。何も考えられなかった――いや、考えなかった。一度考え始めれば、自責の念や後悔や悔恨、様々な感情が入り混じり、制御不能になり、押しつぶされてしまうと思ったからだ。だから、彼は考えることを放棄した――エーリカのことさえも。それがベストだ。兵士にとって、それが最善なのだと自分に言い聞かせながら。
 いつの間に立っていたのか、サエカ大尉が目の前に現れていた。トレーにはレーションが乗っていた。
「ここ、いいか?」
 向かいの席を指し示しながら、サエカはそう尋ねた。ルークは慌てて口の中の物を飲み込み、顔を上げた。
「どうぞ、大尉」
「ありがとう」
 特にお互い会話は無く、ただ食器と食器の触れ合う音だけが響いていた。
「――時間が経てば、と思っているだろう」
 唐突に、サエカは口を開いた。心を読み透かしたかのような言葉にルークは目を見開き、呆然と彼女を見つめる。悠然と彼女は続ける。
「時間は何も解決しちゃくれない。蓋をして奥底にしまったつもりでも、そん中でどんどん膨れ上がってくだけだ……しまいには内圧が高まって爆発するんだ」
「何が、言いたいのですか、大尉」
 ルークは切れ切れにそれだけ言うのが精一杯だった。
「考えろ、ということだ。たった今から。目を逸らすな、見据えろ。飲み込むんだ」
 頭がぐるぐると音を立てて回り始め、堰を切って様々な映像や声が流れ始める。ユリウスの最後、名も知らぬ彼の声、ハリソンの不敵な笑み――。止めようとしても止まらなかった。
「自分の所為だ、とお前は言ったな。笑わせるなよルーク。曲がりなりにも私が愛した男が、お前に、お前ごときに殺される筈がなかろう。ユリウスも、ハリソンも、誰の所為でも無いんだ。誰かの責任だとすれば、責任は無限大に拡散していく。ただ、彼らを忘れるな。それが彼らにとって一番の救いだ」
「――彼は、僕は彼を殺した」
「やらなければ、君がやられていた」
「だけど」
「ジョンだよ。ジョン・ドゥ。名無しのジョン・ドゥ。忘れるな。ユリウスやハリソンと同じようにな。辛いだろうが、彼のことも忘れてはならない」
 自分が涙を流している事に彼は気付いた。サエカは続ける。
「戦争はもうすぐ終わる。きっと私達の負けで。死ぬんじゃないぞ、ルーク。ここで死ぬのはつまらないことだ。死んだら、きっとユリウスが許さない。いや、その前に私が許さない」
「……大尉は、なぜ自分にこんなことを?」
「なに、中隊長としての仕事の一つだ。新兵のカウンセリングといったところだな。それに私の家は貧乏でな――戦場にいた期間はかなりのもんなんだよ」
 そう言い、彼女は薄く笑った。自嘲気味に笑い、話を続ける。
「初めての戦場経験には少し重過ぎると思ってな。初陣から三日後にピストル自殺したやつも居る――そうなっては困るんでな」
 彼女は、どれほどの死に直面したのか。どれだけの別れを経験したのか。そして何人の命を背負っているのだろうか。彼女は薄く笑って続ける。
「それに、可愛らしくないだろう? 少なくとも私の部下に、戦闘マシーンなんて必要じゃないんだ」
 彼はサエカのコーヒーが差し出したコーヒーを一口口に含んだ。
 まったく、代用コーヒーは酷い味がする。

  


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