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Blues in the Field


 

 


 空になった水筒の最後の数滴は
 乾ききった涙とよく似ている

Blues in the Field

「二等兵、水筒から音が出てる。全部飲んじまえ」
 低く抑えた声で俺が言うと、キャスター二等兵は上ずった返答を返し、慌てて甲羅型の水筒を手に取り飲み始めた。
「残しておいたのか?」
「ええ、はい」
 蓋を閉め、また腰の後ろに水筒を吊り下げた彼の顔には、残念そうな表情が浮かんでいた。
「殊勝な心がけだな。ま、俺もさっきから体がニコチンを求めて大変なんだ。お互い様だと思ってくれ」
 二等兵が少し顔を引きつらせたように見えた。恐らく笑みのつもりだったのだろう――彼は未だ前線に配属されて間もないのだ、無理もない。
 彼は工学系のカレッジからこのヨーロッパ戦線に呼び出され、今までとはまるで違った生活を強いられている。実直そうな、利発そうな顔、それは戦場にまだ慣れていない顔だった。彼の初陣は今日だった。程よく危険で、程よく神経をすり減らす、そういう任務が彼の初陣だったことは幸運だったろう。
 俺が低く行くぞ、と指示を飛ばし、再び分隊は歩き始めた。慎重に、音を立てず、見つからないように。
 俺達はここに存在してはならない存在だ、少なくとも、彼らジオン軍にとって。
 ここは西ヨーロッパ戦線、目的地はとある村落、目標はジオン軍ゲリラ部隊。膠着状態だった戦況は、すこしずつこちらに傾き始めていた。オデッサ作戦、全てはその作戦の成功のため、このところの連邦軍は動いていた。
 それはもちろん、俺達とて変わらない。その任務がいささか地味で、慎重で気を使う類のものだったが、今までこなしてきた任務のことを思えば格段に楽な部類なのだから、余り文句は言っていられない。
 ユーラシア大陸に存在するあらゆる連邦軍部隊が黒海沿岸部に位置するオデッサへと進撃を開始していた。連邦軍はその為にかなりの無茶をしていた――無茶をしなければパワーバランスなどひっくり返しようがないが――特に兵站の面で。進撃速度を重視する余り、物資集積所の建設は遅れ、物資を満載したコンボイ達には充分な護衛が付けられないでいるのだ。護衛の付いていないトラック段列など、ゲリラ達にしてみれば願ってもない獲物だろう。
 補給路を襲う危険性のあるジオン軍ゲリラを叩き潰す、それが今回俺の所属する小隊に課せられた任務だった。ただし、一人も生かさないこと――この一文が、俺達の任務を面倒なものに変えていた。司令官や襲われる側からすれば、ゲリラというのはオセロゲームのように二人いれば一人がゲリラになってしまうものだと考えているらしい。
 そのおかげで、今闇を征く分隊員達は極力音を立てないよう、ゲリラ達が逃げる前に必殺の射程におさめられるよう、一挙一動、一言一句、装具の一つにだって気を配っている。喋っていなければ死んでしまうかのように思われたレナードですら、一言だって発していなかった。
 足を踏み入れつつある村落は、まるで死んでいるかの如く静まり返っていた。今が夜だから、というわけではなく、ただ単純に生気が感じられない――家屋は荒れ果て、木に葉はなく、灯火はおろかライターの小さな炎、煙草の火種すら見えはしなかった。魔界というものがあり、そこに村落があるとすれば、きっとこのような風景なのだろうと俺は思った。
 先頭を歩く小銃手がさっと片手を挙げ、停止した。後ろに続く分隊員もそれを見、身を低くして体と神経を強張らせる。すでに何度も繰り返されたやりとりだが、俺はそれに慣れることはできそうもなかった。
 闇夜に慣らされた何対かの瞳がじっと目をこらすが、何も発見できなかった。小銃手が親指を立て、次に手を前に振った。敵影なし、前進のハンドシグナル。何人かがため息をついた。
 再び歩き始めたその時、俺達は銃撃を受けた。安堵のため息はすぐさま悲鳴と悪態に変わった。右手の方向からタイプライターのような音がし、それはすぐさま銃弾が空気を引き裂く不気味な音に変わる。
 ファイル隊形で移動していた俺達は密集していて、彼らにとっては容易い的だったろう。それでも、分隊員に死傷者が出る事はなく、脇の茂みへと駆け込むことができた。彼らの技量が低いか、それとも俺達が幸運だったか。今は彼らの技量が低いほうに賭けたかった。
「応戦しろ!」
 俺は叫んだ。すぐさまそれを掻き消すように轟音。曳光弾が交錯し、頭上を嫌な音を立てて飛んで行く。
「下手糞どもはどこから撃ってきてる」
「あの家だ。まるで映画で見たアラモの砦だ。下手糞で良かったぜ」
 レナードが指差した家は、一見して頑丈と分かる煉瓦造りの家だった。何発に一発かの割合で混ぜられた曳光弾が闇夜に尾を引いて飛んで行き、その家をチラチラと照らし出す。擲弾を何発ぶち込んでも、簡単に壊れそうにはなかった。となれば、接近戦しか方法はない。
「火力じゃこっちのが上だ。レナード、ロッサ、キャスター、ついて来い。残りはここであいつらを制圧だ」
 分隊員からの了解の声は、轟音に掻き消されて聞こえなかった。SAWも射撃を開始し、宇宙世紀版ミニアラモへと嵐のように銃弾を食らわせている。
「二等兵、何をやっている。負傷したのか」
 俺が駆け出そうとしたとき、目に飛び込んできたのはキャスター二等兵の呆然とした姿だった。負傷した様子は無いが、恐ろしいほどに開かれた白目は焦点を結ばれていなかった。
「二等兵! キャスター二等兵!」
 耳元で叫ぶが、彼の口からは言葉ともとれぬ音が漏れているだけだった。彼は轟音の中の、内なる静寂から戻ってこない。
 さらに揺すり、呼びかけ、ひっぱたく。新兵が陥りやすい現象の一つだった。突然の銃撃のショック――自分が誰かに殺意を持たれている、という衝撃に彼の繊細な神経は焼け切れてしまったのだろう。
「――ア、アレン軍曹」
「大丈夫か新兵。所属と姓名、童貞を失った年を答えろ」
 彼は淀みなく答えた。童貞を失った年を除いて。至って正常。一時的なショック症状だろう。俺は、そんな彼が少し羨ましくなった――俺はもう、そんなショックを受けることすら無くなってしまった。
「よし、こいつを潜り抜けたらお前もやっと戦闘処女じゃあなくなる。一人前の男だ」
「ハイ」
「お前はここにいろ。モーリス、キャスターの代わりについて来い」
 顔だけを覗かせて様子を伺う。さっきは適当に「火力は勝ってる」と言ったが、どうやらそれは事実だったらしい。相手からの火線は乏しくなりつつあった。今がチャンスだ。
「よし、行くぞ。準備はいいな、小便もらすなよ」
 目標地点まで迂回するルートを頭の中に思い描き、遮蔽物となりそうな物を頭の中に叩きこむ。その作業は意識するまでもなく、頭の中で瞬時に行われた。
「援護射撃、死ぬまで途切れさすなよ!――GoGoGo!」
 俺は先頭に立って駆け出した。全ての敵兵が俺を狙っているかのような感覚。銃弾が唸りを立ててそこら中に着弾する。後ろにはレナードを先頭に3人の兵がついてきているはずだが、それを確認している暇はない。神経が磨り減り、その内の一弾でもどこかに当たれば、という考えが俺の頭の中を支配し始める。
 怖かった。だがここで醜態を見せ、軍曹としての威厳が失われるのを想像するのは、それを遥かに上回った――随分俺も、理想的な兵士とやらに近づいたじゃないか、ええ?
 いつも通りの恐怖を弄びつつ、気が付けばすでに最初の遮蔽物に近づいていた。姿勢を低くした疾走体制から、倒れこむように隠れる。息つくまもなく、すぐさまラッシュを再開し、またプローン。
 何度かそれが繰り返された。俺達は何の損害も無く、ミニアラモの傍まで辿り着くことができた。周囲を警戒するが、どうやらゲリラは全てこの中にいるらしく、逆に包囲されるということはなかった。
 裏口は、まるで入ってくれと言っているように思えるほど華奢な作りだったが、ブービートラップの危険性を考えるとあそこからは入れなかった。
「レナード、サッチェルだ。壁をブチ抜くぞ」
「どんな固いガードも、この魔法の薬があればたちまちイチコロってね」
 レナードはそう言いながらも装具から弁当箱ぐらいの形と大きさのものを取り出し、それをヒューズと手早く接続し始める。その中には高性能爆薬がギッシリと詰められており、煉瓦の壁には充分すぎるほどにその威力を発揮してくれるだろう。
「よし、盛大にやろう」
「ロッサ、ネズミの穴が開いたらすぐに手榴弾を投げ込んでやれ。二秒待って投げ込まないと、俺達がお陀仏だぞ」
 彼の作業が終わったことを確認し、俺達はサッチェルから離れた。彼がヒューズを押し込んだ。腹に響くような、銃声とはまた違う種類の轟音が鳴り響く。
 彼がクリップを握り、ピンを引き抜いた。俺は開いた穴の傍の壁に張り付く。
「Fire in the Hole!」
 叫び、投げ入れた。間髪入れず、爆発。破片で引き裂かれる哀れな悲鳴は聞こえなかった。
 敵に立ち直らせる時間を与える慈悲は持ち合わせていなかった。すぐさま室内に踏み込み、手にした突撃銃を腰だめで放ち、壁に背中をつける。二人目が続き、俺とは反対方向に展開、残りは室外で後方警戒――教本どおりの、だが確実なクリアリング方法。
「クリア!」
 二人目に突入した兵からの報告。そこには誰もいなかった。階段だけが、上の階へと繋がるほの暗い口を開けていた。
 敵が気付いていないはずは無かった。ブービートラップと強襲を警戒しながら、這うような速度で階段を上がっていく。
 呼吸がうるさかった。心臓の音も、止めて欲しいぐらいだった。首筋をチリチリと炙られるかのような感覚を感じながら、俺は階段を上がる。一段、また一段。
 何事も無く上がりきることができた。息をつく暇はない。ドアがあった。このドアの向こうでは敵がてぐすね引いて待ち構えているのだろう。それを思うと、胃が引きつるような緊張を感じた。
 ドア越しに一斉射を浴びせ、蹴破る。二秒待った手榴弾が二個、力一杯投げ込まれる。爆発が連続して起こり、そして今度は悲鳴が聞こえた。余り良い気分はしなかったが、それを感覚するほど、今の俺に余裕は無かった。
 先程と同じ挙動をなぞる様に繰り返し、部屋の中へと飛び込んだ。
 動くものがあった。機械化されたかのように、頭が反応し、体が滑らかに動いた。すぐさま、容赦なく、銃撃。心地良い反動を感じながら、短く三点射を加える。その何かは、もんどりうって倒れて二度と動くことはなかった。断末魔も、呻き声もあげなかった。
 俺から見れば、それはただの黒いシルエットに過ぎなかった。憎きジオン兵でも、哀れなジオン兵でも何でもない、ただこの中で動くものがあった。だから撃った。人を殺した、という感覚はまるでなかった。
 もうそれで終わりだった。室内のほとんどの者が手榴弾の破片で死んでいたらしい――死体はどれも無残に引き裂かれていた。
「おいおい、どこがジオン軍ゲリラだよ――こいつら、制服を着て無いぜ。ドッグタグだってしてない」
 レナードが、噛み潰したような声を漏らす。彼の言う通り、死んでいた者達は全員が小汚い、普通の服を着ていた。装備も雑多で、とてもじゃないが正規軍と呼べる格好ではなかった。
「野盗ってわけか」
「神出鬼没のジオンゲリラ戦部隊、その正体は銃を持った民間人だ」
「嫌になるな、クソッ」
「先に撃ってきたのはコイツらさ。上にはそのままジオンってことで報告しておこう」
 雑多な小火器で、無謀な戦いを仕掛けなければならないほどに、彼らの生活は逼迫していたのだろうか。俺はその考えを振り払う――彼らは俺達に銃を向けた、だから今、こうして無残に死んでいる。それだけさ、それだけなんだ。
 呻き声が聞こえた。室内で生きている者全てが身構え、すぐさま声の主の方へと警戒しながら駆け寄って行った。声からすれば明らかに瀕死だが、手榴弾を隠し持っているということも考えられる。警戒しすぎて、臆病すぎて悪いということは戦場では決してない。
「長くないな」
 俺を含めた四人が覗きこんで、まずレナードが口を開いた。一目でそうと分かった。特別大きな破片が脇腹に突き刺さり、それ以外の部分にも大小の破片が食い込んでいる。恐らく10分ともたないし、例え延命措置を行ったところでそれは苦痛を長引かせるだけのことになるだろう、ということも。
「……まだ若い。それに、女だ」
 一人が口を開く。恐らく、キャスター二等兵よりもさらに年下だろう。戦争がなければ、ハイスクールの生徒の一人となって青春を謳歌しただろう。しかし、彼女は銃を取とった。その結果は今、彼女は死にかけている。
「若い? こういうのはガキって言うんだ」
 レナードが苦々しく言う。俺は腰に吊った拳銃を取り出した。マガジンを抜いて弾丸が装填されていることを確かめた。また戻した。安全装置を解除した。これでもう、いつでも撃てる状態だった。これでもう、いつでも彼女に死を与えられるようになった――俺がこの中で最高の階級なのだ、だから俺が彼女を殺す。俺が、俺の意思で。
「女でも、ガキでも、銃をこっちに向ければ、それはもう敵だ」
 俺が言った。もう誰も何も言わなかった。
 彼女が微笑んだ。
 こういうときは、「死んじまえクソ野郎」って俺を罵らなくちゃいけない。決して「ありがとう」なんて言っちゃいけないんだ。声が声にならなくても、口の動きだけで分かるんだ、譲ちゃん。
 銃声が響いた。

「……これが戦争なのかな」
「戦争、なんだろうな」
「やっと慣れたところだったってのに、クソ」
 俺達は彼女を残し、部屋を後にした。俺は彼女の死体を確認しなかった――するまでもなかったから。理由はそれ以上でも、それ以下でもない。

 

 空の色に、薄く群青色が混じり始めていた。分隊員達の待つ場所まで戻る途中は、もう何の脅威も無かった。誰も口を開く者はいなかった。
 戻っても、誰も口を開かなかった。
 キャスター二等兵は死んでいた。
 即死でした、と誰かが言った。そこに飛び散ったものを見れば、それは誰にだって分かった。
 一見すれば、顔にほんの僅かに開いた焼け焦げた穴が開いているだけだ。しかし彼の頭の裏側はほぼ無くなっていた。それは彼の頭の中をかき回した銃弾が、飛びぬけて行った跡だ。
 彼は、先程俺が殺した少女のように、今際の際に微笑んで死んだのだろうか、それとも憎悪の炎の中で死んだのだろうか、己の不幸な運命を罵って死んだのだろうか、何の意識もせず、自分の死にすら気付かず死んだのだろうか。
 彼は死んだ――もうそんな考えに、何の意味もない。俺は知っていた。知りながら、俺は考え続けた。
 彼は夜明けを待たずに死んだ。彼は死体袋の中に納められた。通信兵が事情を説明し、後退すると告げていた。
 俺は彼の水筒を手に取り、逆さにした。ほんの数滴の水が、指を湿らせた。俺はそれを、彼の唇につけて湿らせてやった。それぐらいしか、もう出来はしなかった。
 炎が生まれた。レナードがジッポと煙草を差し出していた。
 小さな炎が、今の空の色のような死体袋を照らし出し、亡霊のような男達の顔も照らし出した。俺はその明るすぎる炎に目が眩む思いをしながらも、差し出された煙草を咥え、火をつけた。
 誰も泣く者はいなかった。俺も泣かなかった。ただこの煙草の味に慣れることは出来そうも無いと思っていただけだ。
 夜が明け始めていた。

Blues in the Field 了


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